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草加ファミリー歯科 矯正歯科クリニック

僕が歯医者になった理由

心の底から歯医者が嫌い

 

 

 

 

 

幼い時に虫歯の治療で歯科医院に通うことになり、恐い想いをした方も多いようです。

歯医者さんとしては恐がらせるつもりはないにしても、小さなお子さんにとっては恐いですよね。

 

幼少期にそのような経験をなさった患者様とお話をしていると

 

歯医者が嫌いなんです!

 

と面と向かって言われます 笑

 

私も同じく歯医者が嫌いなのですけれども、

私の場合は歯科医院では恐い経験も、嫌な想いも、一切しておりません

 

では、なぜ私が歯医者が大嫌いなのか?という理由を少しお話しさせて頂きます。

 

 

父が歯科大に

私が歳になり小学校へ上がる頃、

父が社会人受験をして歯科大学に通うことが決まりました。

 

当時、小児喘息で入院したこともあるくらい病弱だった私のために、

家族は埼玉県に残ることになりました。

 

一方、父は県外に一人で住み、歯科大に通うことになりました。

 

 

当時の私はまだまだ甘えん坊でした。

弟が小さかったこともあり、

父と「2人で」山に登ったり釣りに行ったりして、

よく遊んでもらっていました。

 

その仲良しの父がいない生活。

小学校入学と同時に転校。

知らない土地。

病弱なので病院通い。

 

小学校に上がる頃は、

毎日毎日、とても辛かったのを覚えています。

入学してからまもなく父と再び暮らせる日を

まだかまだかと数えていました。

 

でも、

 

幼い弟が見ているし、

祖父母も優しく気を遣ってくれます。

 

寂しいそぶりも見せないように必死でした。

 

自分が母や弟を守らなくてはいけないと感じていましたから、

家中のガキを閉めてパトロールしていました。

 

そんな寂しい生活を過ごしていましたけれども、

夏休みや冬休みなどの長期休暇になると父が帰ってきます。

 

私と弟は大喜び。

 

束の間の親子勢揃い、

久しぶりの家族団欒を満喫していました。

 

しかし、

 

その楽しい時間も長くは続かず、

休みが終わって父が学校へ戻って行く日がやってきます。

 

幼い弟はなりふり構わず父の足にしがみついていましたが、

私は早く眠るフリをして布団の中で泣いていましたね。

 

 

 

家族がバラバラになる

ある日、

 

幼かった弟が父の顔を忘れてしまったことがあり、

抱っこされると泣き出してしまったという出来事がありました。

 

父もさすがにその時は珍しく悲しそうな顔をしていたので、

今でも印象に残っています。

 

 

せめて弟が幼稚園に通う姿を見て欲しい。

そんなことを考えながら幼少期を過ごしていました。

 

「家族がバラバになってしまう」

「心が通わなくなるのではないか」

幼い私にとっては父がいない生活は大きなストレスでした。

 

 

当時の私から見ると、

 

「歯医者」さんは

 

父を奪ったもの。

家族団欒を流し去ったもの。

 

になってしまっていました。

 

当時の私は全て「歯医者」のせいだと思い心底嫌いになりました。

 

無理やり駆り出される

父は編入学だったため、

通常6年間ある歯科大学ですけれども、

5年で歯科医師になって戻ってきました。

 

ただ、もうその頃には

私も弟も父と暮らす生活に慣れられなくなっていました。

 

高校生になっていた私は、

「とりあえず歯医者にだけはならない」

ということだけを決めて、

 

歯医者以外のことを一生懸命にやっていました。

 

 

そんなある日、

 

父の歯科医院のスタッフさんが体調を崩したため

診療が出来なくなりそうな事態が起きました。

 

その時、誰も都合が合わず

散々の抵抗も虚しく私が手伝うことになりました。

 

(当時、栄東高校はアルバイト禁止だったかもしれません 笑)

 

 

 

 

初めて見る父の仕事

アルバイトのつもりで行った私に

父が最初に言った言葉は

 

「患者さんのことを考えろよ」

 

でした。

 

アルバイトであっても一時的なものであっても、

患者様のことを考えて真剣にやれという

メッセージでした。

 

この言葉は、今でも私の診療に

大きく影響を及ぼしています。

 

 

 

「うるせえな、わかってるよ」

 

 

当時の私はそのように言い返したと記憶していますが、

 

父の仕事ぶり、

患者様と接する態度、

仕事が終わってからも勉強する姿

 

を間近で見て、

「あ、全然わかってなかったな」と衝撃を受けたのを

今でも覚えています。

 

それからは練習練習で、

1週間くらい経った頃にはだいぶ様になりました。

 

 

 

これをきっかけに、

 

なぜ父が帰宅後も部屋にこもって本を読み、

私たち兄弟の相手もろくにしなくなったのか、

 

休日にはセミナーでどこかに行ってしまうのか、

 

少し理解できたような気がしました。

 

 

 

話は飛びに飛び

その後につきましてはいつか時間のある時に

追記したいと思います。

 

よくあるくだらない

「私が歯医者になったきっかけ」

みたいなものを今さら私が書いても

 

”つじつまを合わせた感”が満載でしょうから 笑

 

 

その後、無事ではありませんでしたけれども

歯科大に入り、卒業して国家試験も一発で通りました。

 

でも、

 

歯医者嫌い

は、ずっと治りませんでした。

 

そして、片手間で舐めた感じで歯科医師になった私が

いきなり経験したのは

 

 

壮絶ないじめ

 

でした。

 

舐め腐っていた私を見て、きっと気に入らなかったのでしょう。

 

無視、にらめつけ、小声で悪口、

告げ口、噂話、

ちゃんと「トイレ掃除」だけは僕に残してくれる 笑・・・etc

 

それくらいは当たり前で、

私が控え室に戻ると、それまで外に漏れるくらいの笑い声が

一瞬で静まり返るような雰囲気でした。

 

同時期に臨床歴5年の先輩がいらしたのですけれども、

やはり先輩もやられていたようでした。

 

ある日、休憩時間が終わる頃になっても戻ってこなかったので

慌てて電話をしてみると、

 

あまりに心労がたたってボーッとしてしまい、

隣の駅まで無意識に歩いてしまっていたようでした。

 

 

私自身はそこの院長先生に学びたかったので、

幸いにも院長先生からは多大な御厚意を戴いていたので

大満足の日々でしたが、

 

その姿が余計に腹が立ったのかもしれません 笑

 

 

そんなある日、

 

私が診療している真横で、衛生士さんが手伝ってくれる訳でもなく

ひたすら隣でメモをしていたことがありました。

 

彼女は15分くらいひたすら書いていましたけれど、

私は診察をしていたので何を書いているのかわかりませんでした。

 

ちょうどその時、

 

副院長が私の様子を見にきて下さったのですが、

入って少しすると表情がいきなり険しくなって、

その衛生士さんからメモを取り上げました。

 

その後、どうなったのかは知りませんが

 

そのメモを後から見せてもらうと

 

「そんなこと話してないでとっととやれよ」

「患者さんがかわいそうだ」

「やめちまえ」

「消えろ」

 

などなど、「結構書いたね」と感心するくらいの

悪口が書き綴られていました。

 

 

ようやく火が付く

結局、その出来事やそれまでのことで

ようやく私にも火がつきました。

 

翌日にはあらゆるところに電話をして

アルバイトを追加しました。

 

私の年代は一昔前と違い、患者さんが溢れ返り

どんどん診療をして数をこなす歯科医院が少なく

なっていて、

 

どこの院長先生も患者様を簡単には診させて

くれなくなっていました。

 

大学の付属病院でも配当してもらえる患者様が少なく、

圧倒的に経験不足になっていたので、

大学病院が終わってから夜間までやっている歯科医院に

アルバイトに行きました。

 

実際、5年目の時の同期の歯科医師でさえも

1日に3、4人の診療をして、

あとは歯科衛生士さんのクリーニングの際の

麻酔をするために待機しているだけの日々を

過ごしていたり、

 

1日のほとんどを見学だけをして過ごしている

人もいたくらい、

 

私の年代は患者さんを担当させてもらえなかったので、

 

治療をさせてもらえるならと2時間もかけて通うことも

ありました。

 

かといって、短時間に複数人をこなすような

診療では「煩雑」になり、正確に行わなくてはいけない

はずの診療も「省略」することで時間短縮をせざるを

得なくなってしまいます。

 

私の同期は、研修医時代にそのような医院に配属され、

半年後には「考えてる時間なんてないから」と言いだし、

やや深めの虫歯であれば神経を取り、

数回だけ根の治療をして被せ物にした方が儲かると言っていました。

 

「歯なんて根さえあればいいでしょ」

 

と言っていた言葉に大変ショックを受けたのを覚えています。

 

ですから、

 

私はそのような診療は絶対にしないと決意して

経験値を増やすためにするべきことをやりながら、

一方で自費診療のみの歯科医院でじっくり丁寧に診療して

いくことも学びました。

 

たまにある休日は、朝の7時には近所の喫茶店に行き、

昼頃にお店を変えて夕飯前まで粘り、

夕食後は23時まで空いている喫茶店に移動して

ずっと勉強をしていました。

 

電話に出る時間も惜しいので、携帯電話は家に置いて

引きこもっていました。

 

また、歯科の本は数万円するものも多く、

買うお金がないので図書館に行き、

数時間かけて600ページを全部コピーする

なんてこともやりました。

 

それらのコピーもだいたい40回くらい読み返すと

ボロボロになってしまうので、

またコピーをし直すということを繰り返していました。

 

それから、色々な医院に見学をさせてもらいに行き、

今思うと自分でも気持ちが悪いくらいのメモ魔になっていて、

数ヶ月で36冊のノートをびっしり埋めるくらいに書き込み、

 

仕事が終わったら専門書を読む他に、最初から最後まで

そのノートを読み返すことをノルマにして読んでいました。

 

 

そのような生活を3年は続けていたので、

同期のほとんど、職場の先輩などからは一切連絡が

来なくなってしまっていました。

 

 

恩師との出会い

まだまだ今でも発展途上だとつくづく思うのですが、

それでもそのような生活のおかげで一般診療は3ヶ月くらいで

苦にならない程度には出来るようになり、

 

アルバイト先の院長先生の目を盗んで矯正治療やインプラントも

やったりするようになり、

 

少し自信がついてきた頃でした。

 

アルバイト先の院長先生に「星の数ほどセミナーに行ったけど、

あの先生より良いセミナーはなかったから行ってごらん」と言われて、

勉強時間が惜しいと感じながらも渋々あるセミナーに行きました。

 

私もその頃はいくつか講習会に出席していて、

どれも似たようなものばかりでつまらなく感じていたのですけれども、

 

その先生は全く異次元の存在でした。

講習会に出席して30分ほどで「こんなにすごい人は見たことがない」

と思い、初回の休憩時間にはその先生のところで助手をさせてもらえないか

直談判していました。

 

その数日後にはその先生のクリニックにお邪魔させて頂くことになり、

思ってもみなかった「修行」が始まりました。

 

その先生は診療中は話しかけるのも怖いくらいの集中力で、

20分に1回は院長室に呼び出されて怒鳴られてメモをする。

 

診療終わりに恐怖に怯えながらも声をかけて質問をし、

そうすると「調べてこい」ということで課題をもらい、

時には英語の論文も全部訳して持っていくなど、

 

おそらく2時間眠れたらいいような生活を送りました。

 

その経験のおかげで「一流」というものがどういうものか

肌で感じられて本当に貴重な経験が出来ました。

 

「ほとんどの治療がmodified(改良)ではなく単なる省略だ!」と

「資格持ってるやつより勉強すれば資格なんていらないだろ!」と

口癖のようにおっしゃる方で、

 

今でも私の歯科医師としても生き方に大きく影響を与えて下さいました。

 

 

ありがたい

振り返ると、卒業したてのあの頃に、

あのようにいじめられなければ

今の私はありません。

 

あの経験があったからこそ、精一杯に頑張って来られましたし、

今でも頭が上がらない、足を向けて寝られない恩師とも出会えました。

 

そして、患者様のお役にある程度は立てるモノを得られました。

 

そのおかげで、毎日患者様に「ありがとう」と言っていただけます。

 

技術ももちろんですが、歯科医師になったことで

人間的にも成長して来られました。

 

今までの以上の経験に感謝して、

その恩返しを患者様にするべく、

毎日の診療を行っています。

 

治療中

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